教えるということはどういうことか。

コペンハーゲン空港に到着した。

空港から電車に乗るため、券売機に行く。

購入方法がわからなかったため、「Ask me」 と書かれた服をきた女性に助けを求める。

行き先を告げたところ、彼女は券売機を自分で触ろうとしない。

私に説明しながら、私が操作をできるようにするためのサポートをしてくれた。

彼女は手順を1つ1つ伝えながら、私のペースに合わせてくれた。

幸いにも切符が買え、電車に乗ることができた。

彼女がなぜ、彼女が機械を使わずにいたのか。

他の駅に降りた時に、私なりの解が見つかった。

他の駅には、

駅の特徴

  • 駅員が駐在していない。
  • そもそも改札もない。
  • 切符売り場はホームにある  

なので、他の駅では私1人で購入することが前提になってくる。

空港の券売機での彼女が教える目的は、「彼女が横にいて、私が切符を買うこと」ではないということ。

私が今後、「デンマークにある駅で自分ひとりで買うことができるようになる」ことだった。

もちろん彼女=デンマーク人すべての考え方ではない。

今まで関わっていた教育の分野での教えることについて改めて考えた瞬間であった。

新しい人が職場にきた時の仕事の教え方、子どもに接する時の教え方など様々なところで教えることがあった。

「人に教えるより、全部自分でやったほうがましである」という視点に陥るときもあるのではないだろうか。

その人ができるようになることで、その人にとっても、自分にとっても良いとは分かっていながらである。

人への教え方の介入度ついて4つある(詳しくは、システマティックインストラクションを検索)

その人にとってどうすれば効果的に教えるかを分析しながら行う方法を思い出した。

  1. 言葉のみの指示
  2. 言葉とジェスチャー
  3. 見本を見せる
  4. 相手の手を持ち教える(手添え)

今回の私の場合、1と2で教えてもらった。人によって教える介入度を変えていく。

本人がどうしたら自分がいなくてもできるかという視点は本人にとって本当に必要だと改めて感じた瞬間だった。

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